他人を否定する人は縁を切るべき?

先日「こんな人とは縁を切りなさい」とか「人を不幸にする人の特徴」みたいなテーマの動画コンテンツを見かけた。

それが有益な情報だと信じて、その通りに行動した先に何があるか?を考えてみた。

あなたには無理だと言われたら

何かにチャレンジしようとした時、「あなたに出来る筈がない」と、頭ごなしに否定する人、はっきり言って頭に来ますよね。

すぐ否定してくる人が周りにいますか?

そういう人は、邪魔しようとしているわけではなくて、それが「正しい」と思っています。

誰しも自分の中に「正しさ」を持って生きていますが、それが他人の「正しい」と一致するかは別の話。

正解は、神様と、法律と、あなたの心でしか判断できません。

神様は善行も罪も知っていながら、静かに沈黙しています。

罰を与えるのか与えないのか、誰もわからないので、神様はあまりアテにはなりません。

短所だけの人間はいない

人間は多様性がある生き物なので、ペテン師だけど長所があったり(?)、良い人なのに致命的な欠点があったりします。

「その人と縁を切りなさい」「あの人と付き合いなさい」と、指示を出す人がいますが、問題に直面している人の心の中までは見ることができません。

他人が自分の心を理解できないのと同様に、自分も他人に対して邪推するだけ無駄です。

誰とも関わらずに生きること

煩わしい事柄を避けて生きることができたら、それは理想的だと思います。

しかし「嫌だな」と思う人をどんどん切っていたら、行き着く先は孤独です。

お金がある人ほど「ひとりぼっちでも構わない」という気持ちで生きているかというと、案外そうでもなく、コミュ力を駆使して、いろんな人と交流を持っています。

特に、事業をしていたりする人は、多方面に敵を作らないような振る舞いをしています。

嫌な人は反面教師、良い人には恩を返し、困った人は助け、面倒な人には深入りせず、みたいな感じで、気軽に人と関わっているように見えます。

世の中は気むずかしい人ばかりではありません。
この人苦手だな…と思いながら付き合ってみたら、意外と大丈夫だったりします。

本や動画で知ったことだけで対処できるほど、人づきあいは単純ではありません。

いつか自分がつらくなった時「あの時はああしたな」という記憶が自分を助けます。

知識は、誰にも奪われない一生物の財産と言われます。

人に否定されてもあまり気にしないことです。
否定してくる人は、あなたの人生の責任は取ってくれません。

人目を避けて引きこもるより、適度に関わっていろいろな経験をすることで、仕事や人付き合いのつらさが薄れる日がきっと訪れます。

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