
お寺の入り口には、掲示板がある。
なんだか短くて深そうなことを書いてあるこが、最近は若い人にも親しみを持ってもらおうという試みか、漫画のセリフが貼ってある。
母の四十九日にお寺に行った時に、目に入ったのでゆっくり読んでみた。
よく泣き、仕事をする気にもならず、家でぶつぶつ独り言を言っていた頃だ。
非生産的な生活だった。
ドラえもんの話で、どういう流れでのび太がこのセリフを言ったのかわからないのに、漫画の1コマに勝手な解釈をつけても良いのか?という気持ちもあるが、解説を読むとなるほどと思う。

他力本願
「他力本願」ときくと、人任せにして他人をアテにしている無責任な人のイメージがあるが、仏教用語では、仏の慈悲(他力)に頼り、救われるという意味になる。
一人ひとりはみんなだめな人間、それはそう。
浄土真宗は、どんな人間も一人残らず救うという柔軟な教えのようだ。
煩悩はいのち終えるまで消えることはない。
私は、人に悩みを話すと、ラクになるどころか逆にイライラしてしまう。
SNSも然り。
タイムラインは自分だけの物ではなく、サーバーを通して世界に即公開。
反応があるとソワソワ、なくてもソワソワする。
本当に辛い気持ちの時は、レスポンスがない仏様のような距離感がちょうど良いのかもしれない。
苦しみがそこにあると思えばある、ないと思えばない、肉体はなくても繋がりは消えることはない、と一人で考えているうちに、他人と比較して、だめな人間、だめではない人間を線引きすることの無意味さを思った。

思い込みやこだわりから解放されるには
自分はだめじゃない!スゴイ!と超ポジティブになる必要はないが、良くも悪くも自分の思いこみって、結構アテにならないと思っている。
世の中は、考えてもどうにもならない事のほうが多いし、どうしても出来ないことがあるなら、しないという選択もある。
人が関わると計算通りにはいかないので、困り事が起きた時に自分の取った行動が、常に最善だと考えるようにする。
失敗から学ぶことはあっても、後悔だけではあまり意味がない。

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