おじいちゃんと帽子

ベッド下の引き出しに大量のショルダーバッグが入っていることに気付いたのは、小学生の時だった。

使うことはなかったが、時々引き出しを開けて眺めては、また閉じていた。
小学校高学年が持つには子供っぽく、サイズも小さ過ぎた。

引っ越し時のドサクサでバッグは行方不明になってしまったが、全部祖父が私に買ってくれたものらしい。
「らしい」と書いたのは、記憶が全くないからだ。

ショルダーバッグ
バッグのイメージ

鈍行列車の音をききながら

祖父母と同居ではなかったので、帰省した時しか会えなかった。

幼稚園に上がる前だと思うが、祖父は私を連れて頻繁に買い物に出かけた。
店までは徒歩15分ほどで、途中の踏切からは私をおんぶしてゆっくり歩いて行った。

明治生まれの寡黙な人だった。
若い頃からオシャレで、出かける時は必ず帽子をかぶる。

祖父が帽子を手に取ると、私は「さあ行こう」と玄関でスタンバイ。

出かける予定ではなかったけど「じゃあ…」みたいな感じで手をつないで出かける。
孫は全部で8人いたが、祖父が可愛がっていたのは私だけだったらしい。

孫におもちゃではなく、なぜかオシャレアイテム

私は「買って買って!」とねだる子ではなかった。
幼児に何を与えたら喜ぶのかわからず、バッグを買っていたのだと思う。

このブログ記事を書くにあたって祖父の年を調べたら、当時80過ぎだ。
畑仕事をしていた人は体力がありそうだが、祖父はサラリーマンで、体はあまり強くなかった。
華奢な祖父が幼児をおんぶして毎日歩いて出かけるのは、疲労を伴うことだったと思う。

お気に入りの赤いリブ編みの雪柄のタートルネックのセーターがあったのだが、それも祖父からのプレゼントらしい。
大人になって母から聞いて初めて知ったことがたくさんある。

母は数十年前の出来事も「あの時ああ言った、こう言った」と覚えているが、私はすぐ忘れるタイプだ。

カメラはあったが、現代のように、スマホで気軽に写真を撮る時代ではなかったので、何気ない日常の写真は少ない。

母の細かすぎる昔話は、人物の表情や空の感じ、写真以上に情景が浮かんでくる。
それももう聞けなくなってしまったので、文章にしておきたいと思った。

バッグの写真もセーターの写真も残っていないけど、私の記憶に残しておくからね。

コメント

タイトルとURLをコピーしました